皆さんは子供の頃の楽しかった思い出は何ですか??
この手の質問はパッと出てきそうで、出てきた答えがよくよく考えたら違っているかも??
と、なかなか奥深い質問です。
なぜ、そんな事が起こるのでしょうか??
それは、そもそも人の記憶とは曖昧なものです。
それに加えて、人には過ごしてきた環境によって「バイアス」がかかるからだと思います。
この「バイアス」によって、自分の気持ちが分からなくなってしまうのだと思います。
例えばアズさんの場合はこんな感じです。
アズさんは、自分と向き合う為に小学生の頃一番楽しかった思い出を思い出してみました。
すると、「友達と遊んでいた時」と出てきました。
それを深ぼっていきます。何をして遊んでいた時が楽しかった??→ゴム飛び(遊びが古い(笑))、鬼ごっこ(これまた古い(笑))、友達の家で遊ぶ(人形・ゲーム)
しかし、どれもピンときません・・・ほんとにそんなに楽しかったかな??・・・となってきます。
そして、ある事を思い出しました!!
当時、一輪車が流行り出し、友達の自転車屋さんで試乗させてもらいました。
しかし、全然乗れません。
それがもの凄く悔しくて、当時アズさんの家はとても裕福といえる家ではありませんでしたが、親に頼み込んで何とか一輪車を買ってもらいました。
買ってもらってからは、学校から帰ってくると一目散に一輪車の練習に没頭してました。
練習している時、ただただ一輪車に乗れるようになりたい!とこれだけを考えて、夢中に練習していました。
この夢中に練習している時がとても楽しかった事を今でも鮮明に覚えています。
乗れない悔しさと、たまに一回転進めた時の嬉しさ。この狭間で夢中になっている状態。
それを思い出しハッとしました。最近は昨日の夕飯に何を食べたかすら忘れていて、すぐに出てこない事も多いです。
どんどん忘れっぽっくなっていると思ってました。
しかし、思い出そうとしなかったら、埋もれていた思い出ですが、思い出したら鮮明に思い出せるのです!
楽しかった思い出は記憶の奥深くに刻まれている!と、思いました。
同時に思い出そうとうする事の大切さも痛切に感じました。
一輪車の思い出を更に思い出すと、5日目に3回転進めた事を思い出しました。
そして、その時の感動はかなりのものだった事も思い出しました。
今、その思い出に脚色するとしたらこんな感じです!
遂に3回転進めた~!!!花吹雪が舞い踊ります。観客達は全員スタンディングオベーション!拍手喝采です!
子供のアズさんはドヤ顔でガッツポーズ!謎にオスカー授賞式です。
と、こんな感じでもの凄く嬉しかったです。(笑)
その後、一輪車をただ前に進むだけなら乗れるようになりました。
注目するべき点はここからです。
一輪車にとりあえず乗れるようになったら、後ろ乗りを出来るようになりたい!とか、乗る時に壁を使って乗っていたのを壁を使わないで始めから乗れるようになりたい!
等は、どうでもよくなった事です。とりあえず前に進んで乗りまくっていたら、次第に一輪車への興味は薄れていきました・・・
アズさんの母はよくこう言います。「おまえは何でもすぐや~めた」となる、と。
一輪車を乗るのをやめた時もきっと、急にやめてしまったのでしょう。
この辺りの記憶はまるでないのですが・・・母からの皮肉の言葉は今も心に刺さった棘のように残っています。
余談ですが、自分と向き合っていると、このような事も同時に思い出し、子供心には親の何気ない言葉がこれほど強烈に残っているので、くれぐれも自分も子供に発する言葉には気をつけようと改めて思えたりします。
話しを戻して、よくよく振り返ると、確かに興味を持った事は、ある程度出来るようになると興味が急に無くなっていた事を思い出しました。
母から言われ続けていた言葉と、数々の体験が重なり、自分は飽き性なんだと思い込んでました。
しかし、ある程度出来るようになるまではもの凄く集中力を発揮して没頭していました。
この事から、極めたい!欲は少ないのだと気づきました。
はい、出て来ました!
アズさんは「極めたい欲は少ない!」
冒頭でお話しした、子供の頃の楽しかった思い出から、始めは友達と遊んでいた時が楽しかったと思いましたが、深ぼっていきます。
ゴム飛びでどんなところが楽しかった??→出来なかった段が出来た時!でした。これは、友達より上手に出来た時とかでは全然なくて、今までの自分より進歩した時だったのです。
そして、ゴム飛びでも、難しい技が出来るようになりたいとは思いませんでした。そこそこ出来るようになりたい。でした。
こうして思い出していくと、友達と一緒に遊んでいる事はどうでもよく、アズさんにとっての楽しさは今までの自分が出来なかった遊びをある程度まで出来るようになった時がどの思い出も楽しさがピークに達しているのです!
この事から、アズさんの楽しみに「誰かと一緒にやる」は関係ない事に気づきました。
逆に言うと一人で遊んだ方が楽しめてんじゃない!との結論になりました。
余談ですが、アズさんの学生生活は辛いものでした。
辛かったのは、一人でいる方が向いているのに集団行動をしなければいけなかったからだと思います。
しかも、アズさんなりに周りにかなり気を使って過ごしてました。
この辛い気持ちのネガティブオーラを出してはいけないと思い込み、必死で明るく振舞ってました。
だから、日々とてもしんどかったんだと思います。
この時も、常識という名のバイアスがかかり、こうしていたのだと思います。
話しを戻して、こうして子供の頃の思い出から自分と向き合った結果、アズさんの価値観は
・興味がある事をある程度まで極める事が好き!しかし、めちゃめちゃ極めたい欲は少ない。
・誰かと一緒にやる事より、一人でやる事の方が好き。
と、気づけてきました!
まだまだ、深ぼっていったら変わるかもしれません!記憶のもっと奥深くにある事を思い出すかもしれません!
しかし、大切なのは、定期的にこの様に自分と向き合う事だと思います。
生きていると、他人のバイアスがどうしても入ってきます。
アズさんも始め、楽しかった事を思い出す時に、常識と言う名のバイアスが出てきたのだと思います。
学校教育で叩き込まれた、みんなで仲良くする!この常識です。
母から言われた「おまえは飽き性」と。これもかなり強烈なバイアスになってました。
しかし、今思う事はアズさんは飽き性なのではなく、ある程度まで出来るようになりたいのです。
それが、好きなのです。
それを飽き性と言われ続けていたので、自分は一つの事を何も続ける事が出来なくてなんて駄目な人間なんだ・・・と思い続けていました。
が、自分と向き合った事で、ある程度まで出来るようになりたい!良いとか悪いとかではなく、ただそれだけ。アズさんはそうゆう価値観だとゆう事。
更に言うと、飽き性と言う言葉を使ったとしてもそれは駄目な事ではなく、自分でどう捉えるか!
が、大事なのだと最近では思えるようになってきました。
自分と向き合う前のアズさんは飽き性で駄目な奴!と、捉えてました。
が、今ならこんな風に捉える事も出来ます!
現代は変化の激しい世の中です。飽き性だから、いろいろな新しい事に挑戦出来るのでは?
例えば昨今のAIの進歩の速度は目覚ましいです。AIにどんどん挑戦して、どんどん飽きていけばちょうど良いのでは?
こんな具合に考えればアズさんの飽き性は強みに変えられます!
自分と向き合う!この事によって、自分の強み弱みも見つける事が出来るのだと思います。
良く、成功した方の本を読んでいると「自分の頭で考える事が大事」と、出て来ます。
これの意味が謎かけのようで長い間分からなかったです。
最近、これは自分と向き合うという事なのではないかとようやく腹落ちしました。
自分と向き合った中にしか答えはないよ!と、教えてくれているのだと!
~今回のアズさんの気づき~
自分と向き合う!この事はかなり大変な事です。
実際、子供の頃の思い出を思い出すのに相当の時間を費やしています。
何度も何度も深ぼって行かないとほんとうの気持ちを発見出来ません。
そもそもほんとうの気持ちって何??
と、なってきます!
最後は自分でほんとの気持ちはこれだ!と納得する事だと思います。
すなわち、自分で決める事です。
辛い作業になるので、アズさんは長い間、自分と向き合う事を避けてきました。
世間一般的なレールに乗った方が楽と感じていたのです。
いわゆる常識的な考え方に沿った生き方です。
しかし、全然楽にならずに苦痛が増すばかりです。
同じ苦痛なら自分で決めた道を進みたい!
ようやくそんな風に奮起出来るようになりました。
そして、実際行動して行くと、意外と自分で決めた苦痛は心地良い!と、気づく事が出来ました。
例えるなら、筋トレのようです。筋トレしてる時はしんどくて、もうやりたくないと思います。筋肉痛になったりして、更にやるのが嫌になります。しかし、やりきった後は、なんか健康になってる気がする!と、未来が明るく感じられ、とても清々しく爽快に感じます。筋肉通も筋肉が育っている感じがして心地よく感じてきます。
ちなみに世間一般的な常識に合わせていた頃を思い出すと、毎日が原因不明の病気にかかっているような気分だったた気がします。
いっさい先が見えないのです。原因が分からないのでどうしていいか分からないのです。
常にどんよりしていて、もやがかかってます。
こんな感じなので、当然、やる気もでないです。
こんな状態になるのはもう絶対嫌です。
なので、アズさんは今後も自分と向き合い、苦痛を伴いながら、やりたいことに挑戦していきたいと思います。
極めませんが(笑)
明日死んでもいいように!明日生きてもいいように!
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