アズさんは半世紀ほど生きてきて、今、ありがたい事にそれなりに幸せを感じられるようになった。
しかし、過去を振り返るとまあまあしんどい人生だった。
どうして、今、幸せを感じられるようになったのか?考えてみた。
やめる事に意識を向けるようになってから、なんだか生きやすくなってきた気がする。
そこで、やめて良かった事を言語化してみようと思った。
今回は『何で分かってくれないの?思考』をやめて良かった!事について書きたいと思う。
アズさんは過去の恋愛において、かなり痛いタイプだったと自分で分析している。
人は誰でもそうやって、痛い思いをして恋愛経験を重ねて成長していくのだと思うが・・・
今、振り返ってみて恋愛において一番の反省点は「何で分かってくれないの?」この口癖だ。
過去、アズさんと付き合ってくれた彼氏にはこの場を借りて謝罪の気持ちでいっぱいだ。
この口癖を使い、かなり彼氏を追い詰めていたと思うので今は心から反省している。
自分の考えを正当化して押し付け、自分の弱さや怠惰を彼氏のせいにしていたのだ。
同時に、そんな傲慢なアズさんと一緒にいてくれた事に対して彼氏には心からの感謝の気持ちもある。
話しを戻して、20代の頃は自分の意見が絶対で、彼氏の意見を聞いてる風を装っていただけで、ほんとうは彼氏の意見を理解しようとする気なんて無かった。
自分の弱さや怠惰と向き合うのは怖いので何もしないくせに、彼氏の弱いところはお節介に最もらしい事を言って正そうとしていた。
彼氏がアズさんのお節介な助言が出来ていないと「何で分かってくれないの?」と追い込んでいたのだった。
この言葉には「私がこんなにもあなたにとって、素晴らしいナイスなアドバイスをしているのに、どうして行動してくれないの?これさえしてくれれば、全てが上手くいくのに」
こんな押し付けがましさ、傲慢さが含まれているのだ。
相手の意見を尊重せずに、自分の意見を押し通す気満々なのだ。
今思えば、逆に彼氏から「どうして分かってくれないの?」と、言われていたら、
「私には私の考えがあるからほっといて」と、言っていたと思う。
そうなのだ、人にはそれぞれ考え方があり「自分がどうしたいか?」と自分で考え決める事しか出来ないのだ。
これは、いくら近しい関係のパートナーや家族や親友・友達であっても同じ事なのだ。
「何で分かってくれないの?」
この言葉は完全に自分の意見を押し付けようとしている以外の何者でもないのだ。
30歳に入り、他人の恋愛の悩み話しをいろいろ聞いたりして、ドラマや映画などで恋愛における駄目パターンなどを見ているうちに、この言葉を使っていた自分の浅はかさにようやく気が付けたのだ。
自分の意見だけを押し付けている関係は充実した時間を過ごせない。
なので、幸せや安心感を感じられないので、いづれ破局するのだ。
大切なのは一方的な意見の押し付けではなく、相互成長する為にお互いが努力や理解をし続ける事なのだ。
「何で分かってくれないの?」を言っている時点でアズさんは相互成長を拒否している事だと気が付きこの言葉を封印する事に決めた。
そして、この言葉の代わりに「自分に出来る事は何?」
と、言い換える事にした。
そうすると、人のせいにする発想がなくなり、「この現状を改善する為に自分に何か出来る事はないか?」
との発想になり、すこぶるメンタルが安定してきたのだ。
人のせいにしないので、イライラが減り怒りの感情が減るのだ。
これはもの凄く生きやすくなるポイントだと思う。
「何で分かってくれないの?」
振り返ると、この口癖を封印してからめちゃめちゃ生きやすくなったと思う。
この言葉を使う=人のせいにする
だったのだと思う。この口癖を封印してようやく自分でなんとかしなくては何も変わらないと気が付けたのだ。
自分と向き合うきっかけにもなり人生の充実感が上がったのだと思う。
この気づきは、恋愛だけに当てはまらずに全てのコミュニケーションにおいて当てはまる事にも気が付けた。
当たり前だが人は一人では生きていけない。
アズさんは友達もごくごく少ないのだが、こんなアズさんでもまったく人と関わらないでは生きていけないのだ。
人との関わりにおいては時として、イライラしたり、怒りや憎しみなどが沸く事もある。
そんな時は「自分に出来る事は何?」と考え「相手の立場に立って考え直す事をやってみる。もしかしたら何か辛い事でもあってイラついているのかも?」など、すぐに”カッとしないよう”に対処出来るように精進していきたいと思う。
結局はその方がお互い上手くいき、いい関係を築けると経験上学んできたのだ。
怒りにまかせ「何で分かってくれないの?」を連発していた日々よりも確実に生きやすいのだ。
ただ、そもそも合わない人とは関わらない!これは大前提なのだが。
自分とまったく合わない人に対して、いくら「自分に何が出来る?」と考えても関わらない事しかないと思うので、くれぐれもそこの見極めは慎重に注意してもらいたいと思うのだが。
人生100年時代と言われているが、もし、長く生きられるとしても、ただ、長く生きるだけでは意味がないと思い始めてきた。どうせなら深く生きていきたいと思うようになってきた。
「アズさんにとっての深く生きるとは何か?」人と比べるのではなく、今までの自分の人生を教訓に改善していき過去の自分より充実する事を求めている。
深く生きる人生を過ごすために過去の自分を深堀りしていくことが大切になる。
自分を深堀りしたく、このブログを書いている。
その深堀りした気づきが、もしも他の誰かの気づきの一助になってくれたらこんなに嬉しい事はない。
同時に「明日は死んでいるかもしれない」これも常に忘れずに生きていきたいと思う。
明日死んでもいいように!悔いは残さず。明日生きてもいいように!備えて。
今出来る小さな事を精一杯して生きていきたいと思う。

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